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2007年04月 ARCHIVE

2007年04月01日

人喰人と不眠症

人喰人は不眠症に悩む。

Self Portrait

    以前にもどこかで書いたけど、事故などによる不幸な出来事以外で殺人を犯すことはまずないだろうと思う。「人を殺すことは悪いこと」というのが通常のモラル。戦争やテロなどの暴力で殺人が行われるときには、つねに対象(敵)を非人間化するレトリックがともなう。人間でない、または人間とみなさないというレトリックは殺人を殺人でなくしてしまう。現在はそんな歴史経験からまだ抜け出せていない。

    殺人を犯そうなどと考えたことは一度もない。それだけに、もし自分自身が殺人を犯してしまうと、周りの他者が殺人者に豹変しないという保障が霧消してしまう。誰もがすでに殺人を犯しているかもしれず、また誰もが殺人者になり得る。そんな精神的環境におかれたら、きっと発狂してしまう(もう遅い、という人もいるけどね)。

    人喰人は不眠症に悩んでいる。既婚の人喰人ならなお更だ。夫婦喧嘩のあと、先に就眠するわけにはいかない。先に寝込んだが最後、翌朝のメニューにならない保障はどこにもない。殺人を犯すことはないだろう・・・というのは、不眠症にはなりたくないのもひとつの理由。

    悪い冗談?そうかもしれない。けど、人間関係のなかで考えられる、浮気や裏切り、詐欺や嫉妬などの色々な悪い行いにもあてはめることができる。悪いことをしている人の人相がすさむのは、自分のしてきた行為が人を信じられなくしているからだろう。日本に帰国したとき、町行く人の人相がとげとげしいものになっているのを感じた。結構色々なところで人喰人が増えているのかもしれない。

2007年04月02日

花の名前の日

ルーマニアは今日(4月1日)、「花の名前の日」。

Spring Sky

    毎日何らかの名前の記念日があって、ビオレタの場合は、バイオレットの花の日と、花の名前の日と、女性の日と、誕生日のすべてを祝う。誕生日だけのこちらとしては、なんだか割に合わない感じ。

    今日のミシガンは春の陽気。気持ちよく晴れている。ビオレタは朝から今日は花の名前の日だとクルクルしていた。黄色の花が好きなビオレタに出先で黄水仙の鉢植えを買ってかえった。花の日といってもこれだけのこと。喜んでくれればそれだけで嬉しいもの。

MSU Old Power Plant

    でもね、私にとっては「4月バカ」の日・・・。朝から早速、「チャオシェスクの隠し子がいて、そこに保管されていた隠し資産が見つかったんだって」って嘘を教えた。しばらく一所懸命ネットで検索してからだまされた・・・って気づいて悔しそうにしてた。これが本当に悔しそうな顔をしてくれるからだます甲斐がある。


2007年04月03日

なんぼのもんや

点数・成績・そして学位ねー。

coffee & coffee

    どのような教育を受けたのか、どのような教養を持っているのか・・・学位はなんにも示さない。GPA(平均成績)もどれだけの教養を得たのかを示すものではない。でも、いまどきの学生は課題を出した教員が何を求めているのかを、まず知りたがる。教育は神経衰弱になっている。教員が講義で出した札を旨く組み合わせ、教員の耳に心地よいことばを並べる。そうした作業を学生が「学習すること」と考えているのは、学生のつかうレトリックを紐解けば自ずと見えてくる。知識(真実)は追求するものではなく、教官がもっているものだという認識は、「被抑圧者の教育」でフレイレが説いた「貯蓄型教育」と、それによる抑圧構造への主体的吸収を思わせる。

    学生は自由に考えることを薦められてはいる。ただ、自由に考えた結果が報われるとは限らない。意見の違いは、下手をすると懲罰的な仕打ちを招くこともある。特定他者からその時々の「評価」を求めている限り、自由な思考を実践することはリスクが大きいばかりで見返りが少ない。教官の耳に心地のよいことを言っていれば、懲罰的評価を受けることはない。あるクラスではポストモダン主義を主張し、別のクラスではカチカチの構造主義を主張する。多重人格者も顔負けするような技能を身につけた学生の多いこと、多いこと・・・。

    学位記を壁にかけるのは辞めたほうがいい。学位は実際に何を学んできたのかを示すものではないのだから。できることなら博士やPh.D. の称号で自分の名前を修飾しないほうがいい。それらの称号は多くの時間とお金をつぎ込んだことしか示さないのだから。自分の持っているもので自分を語るのは下種だ。何をしているのか、何をしてきたのかで自分を語りたいとおもう。(英語版のエントリーから翻訳し、加筆添削のうえ掲載)

2007年04月04日

フワフワの時間

講義が始まる前のひと時。

Lansing Old Station

    この何もできない、何もする気になれない時間が嬉しい。講義の準備を終え、講義内容をざっと振り返りながら感じるフワフワとした感覚。何かをするには時間が限られている短い時間は、しなくてはならないことに追われている身の上にすうっと入り込んだフワフワとした時間。全てのものから開放され、全てのことから許された時間が、物事の合間に入り込んだ瞬間でしかないのは寂しいけれど・・・ね。

2007年04月06日

「春望」

杜甫「春望」

Night Deposit

国破山河在、城春草木深。

感時花濺涙、恨別鳥驚心。

烽火連三月、家書抵万金。

白頭掻更短、渾欲不勝簪。

    杜甫の漢詩でも一番有名なものではないでしょうか・・・。昔から漢詩が好きですが、春になるとこの漢詩が頭に浮かびます。春の新生は、年が一巡する(死が近づく)ことと同時的という時間の無慈悲さを私に思い出させます。変わらないものと逝くものの対比、崩壊の美学の両面から、どうしてもこの漢詩が頭に浮かぶのです。

2007年04月08日

女性の皆さんへ

あまり本気にしないでください。

Violeta and Erick

    お願いだから、答えがひとつしかない質問はしないでください。お願いだから、答えを求めないのならそういってください。お願いします。お願いします。お願いします。

    鏡の前で「どう?」と聞かないでください。何を言っても信じてくれないのですから。それと、「ちょっと太ったかしら」と聞かないでください。どう返事していいのか・・・。何を言っても信じてもらえないこの気持ち、分かりますか?他の女性を指して「あの人って本当にきれいよね」とか、「あんな人と一緒になれたらいいでしょう?」って言うとき、私に何を求めているのですか?

    質問に答える努力をするのが私の習性です。「どうしたらいい?」と聞かれれば、「こうしたらいいと思うよ」とわかる範囲で答えます。「こんなことがあったのよ、酷いと思わない?」といわれれば、「気持ちは分かるけど、あんたも悪いところがあるんじゃない?」とバカ正直に分析してしまったりもします。昔の彼女にも「女心がわからない人ね」といわれましたが、全くそのとおり・・・。「わかりません」といったら笑われました。今まで何度洒落っ気に救われてきたことか・・・。

    だからお願いです。ただ話を聞いてほしいときには、最初からそういってください。「どうしたらいいと思う?」から話を始めないでください。ただ聞いてくれといわれれば、私だってできます。「どうしたらいい?」と聞くから、一所懸命に対処方法を考えるのです。一所懸命に取り組んだことが「女心がわからない」で片付けられたら、それは悲しすぎます。でしょう?答えがひとつしかない質問や、答えてはならない質問をしないでください。特に、「あの人ってきれいよね・・・」。これだけは止めてください。「女心」の理解を求めるのなら、「男心」をわかってください。わかっていないのにわかってるって言わないでください。わかっていないから理解を求めているのです。最後にもうひとつ。私たちははあなた方に仕えるためにいるのです。信じてください。

    そうは言っても、ビオレタとのあいだでは理解ができています。「質問」はポンポンと飛んできますが、面と向かってきちんと話をはぐらかします。そしてビオレタもはぐらされながらも理解をしてくれている(はずです・・・希望的観測)。

2007年04月09日

復活祭

今日、日曜日は復活祭。

Easter @ Romanian Orthodox

    復活祭はキリスト教徒にとって大切な聖日で、ちょうど日本のお正月に相当するイメージ。前日にはしっかりと家を掃除し、羊や魚をつかってたくさんの料理を作る。復活祭の当日に仕事をすることを可能な限り避ける。そして深夜から復活祭当日にかけて教会でミサがある。ちょうど日本の2年参りみたいなもの。

    今年もビオレタに付き合って、ルーマニア・オーソドックスの教会に行ってきた。数年前まではミシガンを始め、中西部中のルーマニア人が集まっていたけど、毎年その数が減っていく(アメリカへの移民人口が減っているのと、アメリカ化が脱伝統と同義的だということの2つの要因が考えられる)。それでもたくさんのルーマニア人をはじめ、オーソドックス系統のキリスト教をもつひと(ウクライナ、ロシア、ギリシャ、スラブなどの人)が集まり、部屋は人の熱で暖かかった。

    キリスト教というとどうしても宗教的枠組みで考えてしまいがちだけど、日本の仏教習慣と同じような面をもっている。キリスト教がその土地にあった伝統に入り込み、日常のなかの色々な伝承や信仰(迷信も含む)と折り合いをなしている。教義としてのキリスト教を聖書に忠実に信じているというのとはずいぶん違っている。復活祭のミサでも、神社でお払いを受けているような感じで、あまり抵抗を感じない。聖書研究などを通して「教義」を基準に生活をする信仰との共存は難しい。日常の伝承を基準にする信仰には人間性を感じる。それだけに受け入れやすく、共存も易しい。

2007年04月10日

AERA@Chicago

日帰りでシカゴに行ってきます。

Waiting for Spring

    AERA (American Educational Research Association:アメリカ教育研究学会)がシカゴで開催されています。分野を超えてその規模の大きさでは10本の指に入る学会です。3つの大きなホテルを会場に1週間続きますが、あまりの大きさで研究者は「パーティー」と呼んでいます。この期間、教育学部の大学院レベルの講義のほとんどがキャンセルになります。また定例会議もほとんどキャンセルになります。体のいい言い訳に使われている面もそれなりにありますけどね。

    「パーティー」と呼ばれるように、アカデミックな「学会」としてはあまり好きな学会ではありません。ただ、全米から多くの人が来ますので、人に会うにはいい「学会」です。今回はシカゴで開催ということもあり、また比較研究の共同研究者と会うために日帰りで行ってきます。

2007年04月12日

雪・学会・研究・街

シカゴから戻ってきた。

cake cutter?

    ミシガンはここ数日、毎日のように雪が降っている。今夜は吹雪になるらしい。2週間前には水着で日光浴をする人がいたほど暖かかったのに、今朝から降っている雪は外を完全に雪景色にかえてしまった。ミシガンの春は、こうした驚きを幾度か繰り返してからすぅっと終わる。

    昨日の学会では会いたい人に会うことができた。パキスタン、韓国、トルコ、イギリスとをつないで科学・数学教育法についての取り組みを来年度くらいからはじめようという話もできた。日本の科学・数学教育との連携と、理論的枠組みを作る点からの貢献をすることになると思う。歴史教科比較研究では、比較原則の理論的枠組みが評価された。今後シンガポールの学会を経てイギリスの比較教育学会へ出していく予定にしている。

Meetings

    その他の学会発表を聴講する機会にも「恵まれた」。括弧でくくっているのには、それなりに意味がある。英語のBLOGに仔細を書いたけど、機会があれば日本語でも書くかもしれない。ちなみに、シカゴで撮った写真もいくつか更新した。町を歩いたのが日が沈みかけてからなので光量が足らず、画質は荒い。

2007年04月13日

夫婦写真

性格がみえる写真。

Fun

    この写真、光量が足りなくて画質は荒いけどビオレタの性格と私との関係がよく現れている。直立する私の周りでヒラヒラフワフワとしているのがビオレタ。いい組み合わせだと思う。時々腹が立つこともあるけど、それはお互い様。結構楽しそうでしょう?

2007年04月14日

想像の危機:価格破壊について

裕福とはとてもいえない。

Object

    この2~3日、航空運賃の新たな価格破壊についての報道がつづいた。日本からヨーロッパへ1万円台。ロンドン―ニューヨーク間1600円(10ユーロ)などの路線を計画しているライアン航空。徹底したコスト削減でヨーロッパ全域をカバーするイージージェットなど。

    顧客を貨物と同様にあつかい、全てのサービス(付加価値)に課金する資本原理主義的なビジネスモデルは、それを支持する人が多いからなりたつ。個人的には好まない傾向だ。しかし、その是非を論じても建設的な議論にはならない。

    問題の本質は、「徹底的なコスト削減」が何を生むかということ。特定企業による大胆な価格破壊は、その業界全体の価格破壊につながる。業務体質の無駄を限界まで省いたあとに、人件費や更生福利費がコスト削減の矢面にたたされることは、過去の事例からも明らかだ。

    医療保険が削られ、安定した仕事環境を奪われた労働者を尻目に価格破壊を歓迎するなんて暴挙が、どうしてできようか。誰にも家庭があれば子供や年老いた両親がいる。子供が熱を出したとき、両親に介護が必要なとき、医療保険も安定した労働環境も奪われた人たちにどうしろというのか。

cell

    自己責任が資本原理主義的に提唱されると、若く、元気で、資本を持つ個人を中心とした社会を生む。自分の懐が痛まなければ、他者(労働者やその家庭)がどうなろうがかまわない。自分は1600円でヨーロッパ旅行を楽しむ・・・なんてことは、社会に住む人間としてとうていできない。

    私はとても裕福とはいえない。それでも、価格破壊されたものに嬉々として手を出すようなことは「社会」に住む人間として拒否したい。極端な価格破壊に対してはNOといわなくてはならない。自己主義は、いずれ自分を否定する他者の自己主義による、自らの破壊につながる。この定理に気づくだけの想像力を持たなくてはならない。そして我々の未来を決定する子供(次の世代)の想像力を、危機感をもってはぐくまなくてはならないと考える。

2007年04月16日

楽しい

普段と違った日曜日

Downtown Alley

    昨晩は午前4時半に就眠したので、今朝は11時に起床。ビオレタとブランチ・デート。2時までランシング(ミシガンの州都)で仕事をし、そこから2時間半かけて、色々な地域を通り抜けながら大学まで歩く。貧困地域で2度ほど言い寄られるものの、歩くからこそ見えてくる地域ごとの取り組みや空気を感じることができる。仕事柄、こうした観察を大切にしている。

    6時からは教授宅に居候している友人夫婦に食事に招かれた。理数教育専門のパキスタン人夫婦と、農業資本専門のインド人夫婦、そして教育・政治・歴史哲学の私と、数学教育のビオレタで、パキスタン料理に舌鼓をうった。むちゃくちゃ美味しい・・・。それぞれの研究分野やそれを超えた会話をつまみに11時半まで楽しんだ。環境について(これについては今度)、東洋哲学(思想)、農業開発と経済についてなど、色々とそれぞれの専門家から学べるのも楽しく、とても有意義な夜を過ごして、先ほど帰ってきた。学ぶことは本当に楽しい。

2007年04月17日

非日常を日常にすること

中西部、地方都市を歩く。

Cow caught in a fence

    ランシング市はミシガン州の州都。町の中心部に議事堂があり、その周りを議員事務所や行政施設が取り囲む。そこから数分も離れると閑散とすさんだ町並みが広がり、麻薬や売春で知られた地域になる。道は広くて明るいけれども、誰も歩いている人がいない。学生が襲われた(?)という小さな事件も、何度も耳に入ってきているだけに、多少の緊張感をもって歩かなくてはならない。ただ、言うほど危険ではない。日常から一歩でるときに、緊張感を持たなくてはならないのはどんな場面でも共通していること。

    歩くことでたくさんの事を発見できる。遊歩道や高速道路も含むアメリカの道路が何を見えなくしているかということが特によくわかる。たとえば、ダウンタウンの活性化プロジェクトの一環で作られた川沿いの遊歩道。貧困地域を通り抜ける場所では、遊歩道の周辺に木々が植えられている。また、その地域から遊歩道に入るための入り口がない。貧困地域を感じることなく、中産層がジョギングをしながら通り過ぎる。

I496

    大通りも、車で通るだけでは気づかないものがたくさん見える。壊れたガラスの破片、手入れのされていない歩道、枯死した街路樹、軍隊への勧誘チラシなど。車でサッと通り過ぎるだけでは気づかない色々なものが見える。そして一歩貧困地域を外れるとがらりと様子が変わる。

    ランシング市(議事堂を中心として南部)の場合は、ペンシルヴァニア・ストリートがひとつの境界線になっている。ペンシルヴァニア・ストリートを越えると、芝生は緑色になり、街路樹の間隔も狭くなり、公道は掃除がされていて、リカーショップのような店がなくなる。道路一本で、中産(下)階級地域と低所得者地域の境界線がはっきりと分かれている。

    中産(下)と中産(中)の境目は、東ランシングに入る127号線周辺、そして中産(中)と中産(高)の境界もはっきりと分かれている。車で高速や大通りを走るだけではなかなか見えないこうした格差は、歩いてみることではっきりと見えてくる。歩いているときの周囲の空気も違って感じるから不思議だ。

Keep Off

    子供の頃に似たような経験をしたことがある。人民公社がまだあったころの中国からイギリス統治下の香港へ戻ったときに感じた空気の変化・・・。国境を歩いてわたるときに肌で感じた空気の違いに似た感覚を、アメリカの町を歩くときに感じる不思議な感覚・・・。自らの日常の外にある日常は、日常に埋没した感覚を呼び起こしてくれる。こうした感覚を意識的に持つことを大切にしたい。


VT

バージニア工科大学の事件・・・。学生もショックを受けていました。難しいことです。
工科大学新聞(http://collegemedia.com/

2007年04月18日

危機管理(ミシガン州立大学の場合)

大学の危機管理システムについてローカルの新聞がとりあげていた。

Eyes

    アメリカでは全国版の新聞社は少ない。日本と同様に、若年層での新聞の購読人口は減少している。それでも、壮年層の多くが、地域に密着した報道をするローカル新聞を購読している。Lansing State Journal もそうした地域紙のひとつ。バージニアでの事件を受けて、早速、ミシガン州立大学の危機管理システムについて朝刊が報じていた。あまりにも知らないことばかりだったので、簡単に紹介する。

    ミシガン州立大学を管轄する警察署は、「逆110番」に相当するシステムを運用している。今回のような事件が学内で起こると、警察から該当地区の全ての固定電話に録音メッセージを同時発信することになっているらしい。建物の特定のフロアだけに発信したり、学内全体に発信したりと、対象を細かく設定できると書かれていた。

    また、大学内で似たような事件が発生することを想定した訓練もしているということだ。実際に大学の建物を使用して、模擬訓練も行っているとかかれていたが、実際の訓練の様子を見たことはない。夏休みなどの人の少ない時期にやっているのかもしれないが、こうした事件を想定した訓練が行われていることに、いまさらながら驚かされた。

    一番驚いたのは、大学南部に緊急時のための地下指令センターが作られているということ。おそらく冷戦時に核シェルターを併用するものとして作られたのだと思うけど、その存在自体をはじめて知った。驚くべきものではないのかもしれないけれども、昨日のような事件の際に、この地下指令センターが使われることが想定されているということに、不思議な驚きを感じた。

    さて、その他の報道は大学の対応がスケープゴートになって、当初にみられた銃規制の議論は急速に見えなくなってきている。変化が起こるかと期待したものの、また特異点として事件がとらえられる方向に進んでいるように見える。まあ、あまり多くは書かない。

追記: 9時半の大学の記者会見で、犯人は韓国籍在住外国人と発表された。これまでのケースをみても、留学生を取り巻く環境に必ず何かしらの変化がでてくる。言動に注意をし、空気を観察していく必要がでてくるかもしれない。中国のページを見ると、当初、中国人留学生による犯行と報道されていたことに憤怒しているものが少なからず見られる。陰謀説なども持ち出されているが、気持ちはよくわかる。英語のBLOGには、すでにいくつも韓国人の国民性を十把一絡に侮辱して、事件を解釈するものがでている。数時間前までは、中国人を侮辱したものだった・・・。いずれにせよ、色々なことが派生しそうな空気がある。

追記2: Resident Alien は米国永住権を持つ外国籍の人で、犯人は韓国籍の米国居住者・・・。日本で報道されているような韓国人留学生ではない。犯人は米国に8歳のときから居住している。また、一部の報道で英語を勉強している韓国人留学生とされているが、英語学専攻は英語を勉強するところではない。日本で言うところの国文学、広義では人文学に相当する。今回の事件で、如何に報道がいい加減かをつくづく感じる。

2007年04月24日

je vous remercie

フランスのテレビニュースを見ている。

Boxes

    本来ならNHK国際放送の時間。大学の放送局が頻繁に放送時間を変更するので、ここ数日はフランスの放送を見る羽目になっている。当然、フランスとヨーロッパが中心の報道姿勢だけれども、中東からの放送はパレスチナに近い報道姿勢をとっていて興味深い。日本の報道にエンターテイメントが入る前のニュースに似ている。

    耳が慣れているルーマニア語と同じラテン系のことばだからかもしれないが、意外と分かるのが面白い。話せといわれて話せるものではないけれども、一所懸命に聞くとなんとなく聞きとれてくる。これ以上外国語を習得するつもりはないけれども、分かり始めるときの楽しさは数学に共通したところがある。 Merci Beaucoup.

2007年04月25日

学生

ミシガンの今日は雨。

Factory After Fire

    そして今日は、今学期の講義の最終日。学生は講義の始まる1時間も前から教室に来て、プレゼンテーションの準備をしている。

    パワーポイントで項目立てをしたり、見掛けが美しいだけの結論を出すだけのプレゼンテーションではなく、地域観察を通して何を発見したか、何を考えたかを発表、そしてクラスメートにも何かを考えさせることを目的としたプレゼンテーションにするというのが課題。

    講義の前にいつものように階下の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、講義の始まる1時間も前に、学生がどたどたとあわただしく呼びに来た。どうやら私のこの習慣に気づいていたようで、発表用の資料を壁に掲示するのを手伝ってくれとのこと・・・。びっくりしたけど一所懸命にやってくれるのが嬉しい。

2007年04月27日

見えてるけど見えない

格差社会の一面を紹介しましょう。

Lansing Oldtown...

    写真はランシング(ミシガン州都)のオールドタウン。寂れているけど、味がある。昔日はこうした建物が目抜き通りに並び、活気もあったことだろう。街が寂れ、古い建物が取り壊された後の目抜き通りは写真にあるように所々に建物が残っているだけになってしまっている。

    ここ数年のアメリカでは郊外化へのアンチテーゼが起こり、30代の子供の居ない中産階級層が都市部に戻ってきている。フレンズやサインフェルドなどのニューヨークのダウンタウンを舞台にしたシット・コムの影響が背景にあることは無視できない。都市回帰をする若い世代が、こうした古い建物の再活用をして転入していたけれども、最近は物件不足で古い建物に似せた新しい建物が建てられ始めていて面白い。

Lansing Oldtown

    もうひとつ興味深いのは、転入者が30代の独身か子供の居ない家庭だということ。都市部の学校は貧困層や黒人などのマイノリティー層がまだまだ多く、教育サービスが十分に整備されていない。こうした公共サービスの点での社会格差が、子供の居る家庭の都市部への流入を妨げている。平等の建前の下での明白な格差の存在への暗黙の了解があることが分かる一例です。

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