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2007年08月 ARCHIVE

2007年08月01日

香港:「点」と「線」

My old neighborhood
写真(上)は24年前(22年前じゃなかった)に住んでいた通りの標識。下は両親の寝室の窓からの風景。

以前に住んでいたところを訪れたことがあるだろうか。

高校生のころ、3年生まで通っていた小学校を訪ねた。記憶のなかではとてつもなく広かった運動場が、意外にこじんまりとしていたのが奇妙だった。引っ越して以来、会っていなかった友人たちは、同じところの同じ家に住んでいた。自分にとっては十数年間の断絶を経て「つながった時間」を、友人たちは「つながっている時間」としてそこで過ごしていたのだという事実に、当惑を感じた。点と点でしかその場所を知らない自分が、その場所を線(面)として生活している友人と「場所」を共有できないことに、さびしさを感じた。

今年の夏、香港で24年前まで住んでいた通りを訪ねた。不思議なくらいに何も変わっていなかった。口を真っ青にして叱られた桑の木もそこにあり、学校や教会、公園のブランコもそのままにあった。ただし、24年ぶりに訪れた通りには知らない人しかいなかった。「新しい時間」の住人ばかりになった街は、「以前の時間」をもってきた私を懐かしむことなどがあるはずも無く、ここでも何かしらの寂しさを感じずにはいられなかった。

なぜ、以前にいた場所を訪れるのだろう。変わっていないものを求めているのか、変わったものを確認するためか、自分の記憶が経験にもとづく(歴史的に形成された)ということを確認するためなのか、それとも変わった自分を認知するためなのか・・・。

引越しが多かったので、幼馴染がいない。私を「線」で知る人は両親を除くと誰もいない。両親でさえ、高校3年間、そして大卒後から今までの15年間を「線」で知ることはない。兄弟もお互いに離れて生活している。私自身を「線」で知っているのは「私だけ」・・・これが寂しさの源泉かもしれない。

それでも兄弟がいてよかったとつくづく思う。大人になって離れて生活をしてはいるものの、お互いに子供のころを「線」で知っている。トロントで一仕事をしてから旅行中の弟と時間をすごしたが、不思議なところでつながっていることを感じた。待ち合わせをするわけでもないのに同じ時間にロビーに下りてくるし、なんとなく感覚でつかめるところがある。つかめないところがあっても気にならない。

幼少時から一つの街(ブカレスト)でずっと育ってきたビオレタ(妻)は、たくさんの幼馴染がいる。そんなビオレタが幼馴染と会うと、それまでの空白の時間を越えた不思議な「超越」を見せる。人は「点と点」でつながっているのではないということを、弟と会って改めて感じると同時に、懐かしむだけでは故郷はできないということを思った。

From my parents' house

2007年08月02日

みすてられるもの

Banana Tree
暑い日が続いている。昨日は34度、今日は35度。湿度が高く、コンクリートの照り返しで焼けるようだ。香港に住んでいたころは、この程度の暑さはなんとも無かったと思う。まあ、たいていどこでも冷房がついていたということもあるのだろうけど、そんなに暑いと感じたことは無かったように思う。

ヨーロッパは猛暑らしい。ルーマニアの知人は、地面の表面温度が摂氏75度になったといっていた。地面に置いたフライパンで、3分で玉子焼きができたというから相当なものだ。店頭からはクーラーが完全に無くなり、取り付けに1ヶ月以上待つことが当たり前という。ルーマニアの義父母の集合住宅は、チャオシェスク政権下で義父の手によって建てられている。通常の建物よりも壁が相当に分厚く、室内は盛夏でも地下室のようにひんやりとしていた。ただ、今年の猛暑にはなすすべも無いらしい。

EUに統合されてからというもの、相当な額の外資が流れ込み、首都ブカレストは建設ラッシュだという。またEUへの通貨統合も追い討ちをかけ、物価が何倍にも跳ね上がっているらしい。こちらの生活を心配して何も行ってこないけど、共産時代からの年金で生活している義父母にとって、生活がますます難しくなっていることは疑いの余地が無い。ビオレタと話して、2000ドルほど送ろうと工面をしているけれども、物価の高騰に追いつくかどうか・・・。いずれにせよ、毎月なんらかの形でしっかりと送金できる体制にしなくてはならない。

こうしてみると、日本人に生まれて、それなりに裕福な家庭に生まれた自分は恵まれているとつくづく思う。親の経済的な心配をしなくてもいいということは、なんと恵まれたことだろう。そして日本の社会が戦後60年以上ものあいだ、革命などの大きな変化も無いままに来たことはある意味、とても恵まれていることなんだとわかる。

ルーマニアは革命後の頭脳流出、産業構造の変革、価値観の転換・・・などを経て、現在また、EUへの統合に伴って生活観の変化や新しい価値観、産業構造が入り込んでいる。若い人口はこうした変化に適応し、チャンスをつかんでいくこともできる。ただ老・壮年人口には厳しい現実だ。一所懸命に働いて、子供を養ってきた結果がこれだと、どうもやるせない。

現在の日本では、若者中心の政策提言がされたり、若者中心の消費活動が奨励されていたりしているように見える。政党のメッセージもイメージも「若さ」を前面に出している。ただ、「若さ」を単純に追求することは危険をはらむことを自覚しなくてはならない。社会は若さだけで成り立っているのではないし、若さだけが社会を活性化してきたのではないことをもっと明白に認識しなくては、刹那的な若さに応じるだけの社会を生みかねないのではないだろうか。

Flower Market Path


2007年08月03日

研究メモ

メモ(1):

アメリカ教育研究学会」の年次学会へ研究発表の申請を提出。歴史教科書問題に対して、新しい視点(歴史哲学と討議倫理)からの分析を試みた研究。韓国と米国と中国の研究者との共同研究で、スカイプを使って議論や研究の調整をしている。便利というよりも、研究の可能性が広がった。

メモ(2):

1960年代後半から1970年代を通して、戦争を題材にした漫画作品が多く出版されていることを確認し、リストを作成した。戦後日本の戦争観と平和観の形成を、フーコーのいうジェネオロジー的な視点から観察した結果を例示するのに有効だろう。仮説が少しずつ、しかし確実に証明されつつある。

以上。

学校訪問と協同学習

Star Ferry Pier
ランシング市近郊の学校訪問をした。新学期が始まる前に、学生の実習(含む体験学習)先との連絡をつけ、関係を作ることを目的とした学校訪問。

日本の学校だとまず学校長などの役付に連絡し、許可を得てから行動するのかもしれないが、こちらは各教員ごとに主導権があるので一人一人との人間関係を作らなくてはならない。だから学校訪問というよりも、教師訪問といったほうが正しいかもしれない。

日本の「根回し」は、いろいろと悪く言われることもある。しかし要所〃〃を、あらかじめ抑えておけば、一気にことが動くし、時間の浪費も防ぐことができる。孫子の兵法にある「内から攻めよ」の実践とも考えられないだろうか。悪習といわれるものにも、それが幾年にもわたって行われてきたことには理由があり、それを理解して見習うべきものは見習う必要があると思う。いずれにせよ、それぞれの教員の協力を得るためには、一人一人を訪ねてまわらなくてはならないので時間も労力も並大抵のものではない。

昨日訪れた学校では、以前教えていた学生が教職についていた。講義で一例としてあげた環境教育を軸とした問題解決学習カリキュラムをしてみたいということで、他の新任の教師とも相談しているらしい。

アメリカの公教育の現場で教員間の協同を可能にする「環境つくり」が非常に困難なことは、アメリカの教室運営がCellular Practiceと批判されることからもわかる。以前教えていた学生は、講義でふれたこうした点もしっかりと覚えていて、個々の教員間のつながりをつくるため、古株の教員を含めた学校全体の教師の協同ではなく、彼の同期とその後に入ってきた教師を取り込んだ協同に取り組んでいるらしい。

教師の移動が激しい都市部の学校だから難しいかもしれない。それでも新しい取り組みを理論的に理解して、それを実践しようとしているのだから9月の新学期までの間にできるだけのことをしたい。昨日は3時間ほど各教科のカリキュラムを照らし合わせ、それぞれの教科の学習目標をどこでどのようにつなげることができるかを相談した。教職課程の学生が体験学習をする現場としても興味深い。一石二鳥になればいいな。

At the Star Ferry Pier


2007年08月04日

物価急上昇

Iraq Flying
先月末、トロントに行っていた。ちょうど弟がヨーロッパを回ってトロントに到着するのにあわせて旅程を立てた。トロント訪問の第一の目的は弟に会うこと。ただせっかくの機会だから、弟の到着日にあわせて、トロントにある教師教育大学の教授をたずねた。彼とは共同研究を計画しているので、そのための会合をかねた出張。普段はオンライン(IP電話)でしかやり取りをしていない相手だが、会って話すと実際の仕事量よりも多くの達成感を得られるのが不思議に感じられる。弟の到着日(29日)前日に会合をもって、仕事は終わり。29日の昼にはピアソン空港に弟を迎えに行った。

写真はトロント市を横断するカナダ高速道路401号線で撮った。イラクの国旗を窓から出した車が10台ほど、一列になって高速道路を走っていた。何かのお祝いみたいで、窓から手を振ったりしていた。人の話によると、イラクのサッカーチームがアジア地区の最終予選まで残った体とかいう話があったが、本当のところはわからない。ただ、イラク戦争(アメリカでは「イラク解放戦争」)の余波が今も続き、泥沼化しているアメリカでは見ることができない光景におもえた。

トロントは町としてはヨーロッパやその他の都市とは比べ物にならない。都会になりきれない都会。ただ、既存の産業基盤が崩壊しつつあるミシガンから来た目で見ると大変きらびやかで活気がある。実際に、2年前まで1USドルは1.4カナダドル程度の為替レートだったのが、今回は1.05カナダドル。29日にはついに(一時的ではあるけれども)1USドルが98カナダセント!なんと逆転してしまった。アメリカから見れば突然物価が1.4倍になったようなものだけど、カナダにいる人から見れば何もしないのに給料が1.4倍になったのと同じ感覚。

こうした為替や経済の仕組みについては弟のほうがはるかに詳しい。弟は市場経済の仕組みを軸にして社会観察をするので、自分とは別の視点から世界を見ることができる。話していて勉強になる。いい兄弟を持ってうれしい。それにしても今回の為替変動は、私のちいさなフトコロを直撃するほどひどかった。マイッタョ。

iColorFolder 1.42

colorfolder
右クリックで簡単に、フォルダーのカスタマイズをすることができるフリーソフト。

ウィンドウズ機(PC)でフォルダーをカスタマイズする場合、右クリックからプロパティーを選んで・・・とややこしいステップを踏まなくてはならない。また、通常は既存のアイコンしか使えないので、手間がかかるわりにはうまくフォルダーの整理に都合の良いアイコンがなかった。

この「iColorFolder」は、カラーフォルダーを使ってオフィスの書類棚を整理するようなことができるソフト。右クリックで簡単にフォルダーに色をつけたり、ちょっとしたアイコンのついたフォルダーに変えたりできる。

飢えのスクリーンショットを見てもらえばわかるように、現在進行中のプロジェクトをオレンジ色のフォルダーにして、プロジェクトがひと段落ついたら青色に変えている。また、他の研究者とファイルのやり取りをしているフォルダーには、矢印がついたものにする・・・という具合。アイコンを中身にあわせて統一すると効率がいい。反面、全部のフォルダーに色をつけたりすると本末転倒になるので、パッと見つけたいようなファイルの色をちょっと変える・・・という使い方を推奨する。

ダウンロード先:http://icolorfolder.sourceforge.net/ (作者のページ)
価格: 無料

バージョン1.42が最新

2007年08月05日

国家宣伝

Romanian Store in Toronto
モントリオールもそうだったが、トロントにもたくさんの移民が世界各国からきている。都市の中心部では、それぞれの出身国ごとに人口が集中した地域ができていたりするが、ある程度経済的に余裕がでてくるとどんどんと郊外へ移っているのが興味深い。

隣国のアメリカが不法移民流入の問題と、不法移民の安い労働力に依存しているという構造内矛盾に苦しんでいるのに比べ、カナダに入ってくる移民は競争力を持った技能移民が多い。低賃金からでも仕事を始め、どんどんと起業していくバイタリティーがあるし、また高い技術力と教育を武器に、ホスト社会と対等以上にわたりあっている。

そのためか、アメリカに入ってくる移民がホスト社会に同化しようと努めるのに対して、カナダの移民はそれぞれの母国の持つ独自性を打ち出したままで、他者との共存をはかっているように見える。政治哲学者のウィル・キムリッカがいう『多文化社会の市民権』の具現化とも見られるものがある。アメリカで社会の多数派(白人)に属す自由主義哲学者がリバタリアニズムなどを提示するのに対して、カナダにいるキムリッカがコミュニタリアン(共同体主義)的な自由主義を主張した背景を現実に見ることができる。

しかし、移民受け入れに解放的な国の公教育が、凡庸なものになる傾向は、アメリカもカナダも同じらしい。多様な人種や民族が共生する自国の複雑な社会構造のなかで優秀な人材をぞだてる教育制度を作り上げるよりも、平均的な平等(公正ではない)を基本にした教育を施すやり方がアメリカとカナダの双方で見られる。平均的な労働者を国内で育て、高度な専門性を持った技術者や、豊かな発想を持った人材は国外から輸入する・・・。これは、スタンフォード大学のデービッド・ラバリーが言う、『公教育の3つの目的』のうちの『社会効率』の目的に特化した公教育の姿のように見える。

こうした点を含めて社会分析をすると、ハリウッドなどのイメージ産業が、国家的に如何に重要な産業がということが良くわかる。カナダはアメリカではないアメリカという、どちらかというとアメリカのニューレフトを継承したようなイメージをところどころで出している。中身はいろいろなところで共通しているけど、パッケージが違う。まるで国家マーケティングをみているかのようにも感じられる。

写真(上)はルーマニア人の食料品店で買い物をする妻。写真(下)はトロントの中華街の一角。

Chinatown in Toronto

アウトライン・プロセッサー NanaTree

nanatree
アウトライン・プロセッサー。文章を書かない人は「?」と思うかもしれない。

論文などの文章に限らずとも、何かを伝える際には要点を整理し、また要点を支えるための各論(事例)が必要になる。要点だけで事例が無いと、子供のおねだりに似たコミュニケーションになりかねない。とはいうものの、要点を整理してそれに適合した事例を準備することは容易ではない。

筋道の立った論文を書く場合にあらかじめ項目立てをしておくと、論文を書いている途中に論旨を見失うことを防ぐことができる。短い論文(文章)ならば、起承転結の各部分を簡単に表す単語を書いておく。長い論文ならば、各章の大雑把なタイトルと、その章の下に来る小見出しをあらかじめ書き出しておく。こうすることで、それぞれの項目に集中して文章を書くことができる。こうした文章作成においての地図を、英語ではアウトラインといい、このアウトラインを作る(プロセスする)ソフトウェアが、このアウトライン・プロセッサーだ。

アウトライン・プロセッサーは、単に項目を書き出す作業に使うのではない。それぞれの項目ごとに、アイデアをメモしたり、必要な資料をリストしたりすることで、より細かい文章の「設計図」を作ることができる。そのほかにも、各段落や各小見出しのそれぞれをこのアウトライン・プロセッサーで書いてつぎはぎすれば、まとまった論文が出来上がる。それぞれの項目を自由に動かせるばかりか、階層化することもできるので、文章作成に大変役立つ。

さらに私は、これを資料管理に応用している。著者名や書名ごとに一つずつ項目を作り、そこに「要旨」、「感想」、またそこから得たアイデアや有用な引用文などを書き込んでいる。ぱっと思いついたときに、いちいち本を開かなくても引用ができるし、要旨を引き出すことができるので重宝している。面白いところでは、著者の顔写真などがある場合には、著者データベースのようにして写真も貼り付けている。このほかにも、まだまだいろいろな使い方ができそうだ。

さて、このアウトライン・プロセッサーは、今まで使った中でも一番優れものだ。フォントの大きさや色、タイプが選べるあたり、ふつうのワープロソフトと変わらない。また、HTMLでエクスポートもできるので、書いたものをそのままWEBにすることもできる。これだけできて無料というのがうれしい。

解説サイト+ダウンロード:http://www1.cncm.ne.jp/~ogawate/software/nanatree/nanatree.html
価格: 無料

バージョン1.02が最新

2007年08月06日

トロント:ヘミングウェイの宿

Brother @ Sherbourne Station
地下鉄の駅で弟のスナップ写真。

トロント滞在中は、ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)が間借りしていたホテルに宿をとった。1次世界大戦から戻った後、1920年にトロント・スター・ウィークリーやトロント・デイリー・スターの読物記者として5ヶ月ほど滞在し、翌年ふたたび舞い戻って新婚生活を始めたのがトロントのこの場所だった。ピアニストの妻、エリザベス・ハドリー・リチャードソンとの間にはじめての子供(Jack)をもった場所でもあるし、記者をしていた新聞の特派員としてフランスに渡るきっかけを得たのもトロントだったことを思うと、ヘミングウェイのトロント時代はある意味で幸せな場所だったと思う。

ヘミングウェイの「トロント時代」を読めばはっきりするのかもしれないし、ミシガンやシカゴとも縁がある作家なので、一度よんでみるのもいいかもしれない。

ホテルはビクトリア様式の建物で、もともとは個人宅。その後、近くの学校の女子寄宿舎に改装され、ヘミングウェイの時代にはアパートになっていたものをさらに改装してホテルにしたこともあって、部屋は広くない。ホテルに一歩はいると、内装のところどころに当時の面影が残っている。ダウンタウンの北辺を東西に走るBloor通りに近く、地下鉄の駅は目の前にある。こうしたホテルの背景を知って泊まると趣があってよいが、惜しむらくは日本の観光ガイドには載っていないみたい・・・。ホテル内にレストランが無いこともあってランクは2つ星。背景も何も知らなければ、小さな2つ星ホテルとしか感じないかもしれない。(下の写真はホテルの入り口)


Clarion Hotel & Suites Selby (別ウィンドウで開きます)

592 Sherbourne Street,

Toronto, ON, Canada M4X 1L4

416-921-3142 (TEL)

416-921-0665 (FAX)

全室無料ワイヤレスインターネット。フロントに無料アクセスポイント有

一泊:70US$ ~ 120US$程度で朝食付(スタンダード)

Hotel

2007年08月07日

夏季休暇期間のプロジェクト

Reflection in Toronto夏季休暇中の3ヶ月、毎週月曜日に教師教育課程教育に国際的視点をとりいれるためのプロジェクト会議がある。この夏、このプロジェクトの実行責任者を務めているが、大変面白い。

夏期休暇中に会議がひらかれるのは、理由がある。通常の学期中は移民法の制限一杯に講義(2クラス)を担当しているために、報酬がある仕事をすることができない。ところが、夏の休業期間中であれば通常期の2倍の就労時間が認められているため、こうしたプロジェクトに雇われるのは、夏に限定される。

一般に、夏学期は大学内の仕事が激減する。提供される講座数が通常の何十分の一になることに加え、大学に残る学生数も激減するのだから仕方がない。講師契約は夏学期を含まないので、実質この期間の収入は0になる。アメリカの大学の夏季休暇は3ヶ月もあるので、この期間はとても厳しい。

過去7年間にわたって、なんらかの形で夏の仕事を貰っているのは幸いだ。

特に過去2年は、研究助成金であったり、奨励金をいただいたりと、なんらかの収入を得ている。妻は数学教育研究プロジェクトに例年雇用され、二人で収入を得ているのでなんとかなっている。

ただし、今年の夏の予定が不明瞭だったので、私に回ってきた大きな仕事は全て断った。そのため、今年の夏の収入は、プロジェクト責任者としてもらう2100ドルだけ。3か月分だけれども、週に1度の会議が実質の拘束時間。それに会議がとても興味深いものになっているし、新しい教師教育の視点を考えることができるという点でも、無給でも満足するとおもう。

それでも毎日ご飯を食べなくてはならないし、家賃も保険も払わなくてはならないから、給料はもらえたほうがいい。ルーマニアの義父母にも送金をする予定だし、夏季休暇中の収入は先に書いた理由から、例年の3分の1だということもあって、収入はあったほうがいいのが当たりまえ。

さて、このプロジェクト。私のほかにケニア人が一人いるだけで、全員がアメリカ人。そして全員が教師教育学科の専任。このなかで実行責任を任されたのは、光栄なだけに、一所懸命取り組んだ。幸いなことに、プロジェクト参加者の興味を引き出すことに早い段階で成功したので、夏季休暇中にもかかわらず毎週の会議に全員が出席してくれている。それも当たり前のようにある遅刻も全くない!何だ、できるんじゃない・・・と思わされる(笑)。いろいろと意見を交換してきたが、プロジェクトも終盤にかかっているので、まとめに持っていかなくてはならない。

いずれにせよ、会議がとても面白い。ある目的に向けてしっかりと前進していることが感じられるときは、本当に楽しい。

トロント:「海都粤菜轩」

Legs
数日前のエントリー(記事)で、トロントには移民が多く流入していることにふれた。

新しい移民が多いところ、そして母国集団に分かれて生活圏ができるほどの移民が流入しているところでは、美味しいものを食べることができる。観光化されておらず、新規参入移民がたくさんいる街のチャイナタウンでは、材料こそは本場とは違うものの、中国のそれぞれの地区の美味しい料理に舌鼓を打つことができる。ただし、観光化されているところでは、主な対象にしている客層が異なるので『本場』の中華料理を期待するとがっかりする。人によるかもしれないが、横浜やニューヨーク、サンフランシスコの中華街がその好例。

トロントには昔の中国系移民が作った中華街がダウンタウンにある。地図でも、「Chinatown」とかかれている。ここのレストランは大きく分けて2つのタイプ。一つは大通りに面した豪勢な、いかにも中華というイメージの建物のレストラン。こういうところは高くて不味い・・・。もう一つは定食屋的な厨房。そこで働いたり住んでいる人を対象にしているだろうから、きっと美味しいと思う。ただ、コロッケ定食やカレー、ラーメン屋が「日本料理」の看板をあげないように、中華ファスト・フードも、「中華料理」という看板を背負うのには十分ではない。

しかし、トロントには1997年の香港返還後に来た新しい移民がたくさんおり、こうした新移民が新しく店を出し始めている。新移民は飽和状態の中華街ではなく、トロント市北部の郊外に「中国人が比較的多い地区」という、新しいスタイルの母国別集団を作り出している。移民の定住傾向の変化として研究対象としても興味深いが、主題から外れるのでここでは書かない。

トロント北部を東西に貫く高速407号線の北側、HWY-7EとLeslie通りの交差点北西には、こうした新移民が作り出したレストランが集まった一角がある。もちろん英語のメニューもあるが、あくまでも英語を母国語としない移民集団を対象にした店ばかり。中国(広東系)を筆頭に、タイヤベトナムからの移民も多く集まっているようで、たくさんの東南アジア系のレストランが軒を並べていて、そのどれもがなかなかすばらしい味を出している。

トロントを通るたび(モントリオールに行く道中)に妻と行くのは、「海都粤菜轩」。「粤」の字が表すように、広東料理のレストラン。クラゲの前菜は懐かしい味ではずせないが、冬瓜のスープや、海鮮が美味しい。今回はオイスターの蜂蜜焼きを頼んだが、オイスターの一つ一つが妻の手のひらの大きさ。それも焼いた後!びっくりしたけど、とても美味しくいただいた。

一品ごとの量が5人前ほどもあるので、たくさんは頼めない。それでもいつもたくさん頼んでしまう。食べきれないほど頼んでも40ドル前後。5人くらいで行くのが一番いいかもしれない・・・。5人で行っても全員で40ドル前後で十分。難点は、現金決済で、カードでの支払いができないこと。お勧め!

情報:
Richmond Royal Tim Chinese Cuisine

670 Hwy 7 E Unit 8 Richmond Hill

Toronto, Ontario, M4N 9T7

TEL: 905-881-3328

2007年08月08日

事故:バックアップをしましょう

European taste?
教師教育課程の講座で社会構造の観点から、学校教育における他者性の認識と公正の実践についてとりくんでいる。当該担当講座の統括責任者が交代することになり、先学期半ばに、講義ノートを新規採用教員のために公開してくれないかと要請されていた。

話はそれるが、講義ではディスカッション(討議)の形態をとっている。学生がディスカッションに集中できるように、講義ノートは学生用に公開してきた。ノートをとることで一所懸命で、ディスカッションに参加できない学生を減らすためでもあるが、討議されている事項を集中して考えることができるように・・・というのが一番の目的。

講義で示したデータ類はもちろん、その講義の要旨についてもまとめておく。それを学生がダウンロードして、講義でのディスカッションを振りかえる。この作業を通してより深く考えることができれば・・・ということを期待して、講義ノートの公開をしている。

さて本題に戻ると、その公開してくれないかと要請されていたノートを、新規採用講師研修に合わせて提供することになり、ノート整理をしているあいだに大変なことがおこった。

ノートの入ったファイルはネット上に保存していた。ところが、ネット上でノートをいじっているうちに、なんらかの作業ミスで半分ほど消失してしまった。ネット上のバックアップ・ファイルをいじっていたので、被害はさらに大きなものになった。

本来のファイルを保存していたコンピューターは、データをオンラインのファイル保管に移動した後から休眠状態。ハードディスクをつないで、データを取り戻そうにも「ウン」とも「スン」ともいわない・・・。散々格闘した挙句、「あきらめた」。

ネットに残っていたファイルを修復できるところまで修復し、ひとつにまとめて新規採用講師研修に提供した。本当はもっといいものなんだけど・・・。喜んでいただけたから善しとして、また新しく作っていけばいいや・・・っと空元気で自分を励ますけれども、これが論文とかだったら洒落にならない。バックアップは大丈夫か、再確認しなくては・・・ね。

写真: ちょっと怖いルーマニアの珈琲缶。

2007年08月09日

おもらい

Ad
「日記」: 昨晩は暑かった。気温よりも湿度の問題。大学の研究室がある建物は、人がいるいないに関わらず全館冷房されている。もったいないけど、こういう時にはオアシスにみえる。論文を書くのに必要な道具一式をそろえて、夜の研究室に一人で籠もっていた。

夜間は誰も出入りしないので、静まりかえっている。そして誰も出入りしないので、時間がたつごとに冷房の効きが強くなってくる。午前2時半ころにはとても座っていられないほど寒くなったので、家路についたが、帰り道の生暖かい空気の心地よかったこと・・・。でも、何でクーラーを止めないのだろう。止めている日も時々あることを考えると、とめ忘れているとしか思えないのだが、そうだとすると無駄なことだ。

2007年08月10日

コヲロギ

Yonge
写真はトロントのYonge通り。いつ通ってもYoungと読んでしまう。

今朝も早くから大学の研究室に来ているが、昨晩の大雨でコオロギが逃げ込んだらしい。コロコロコロっと鳴きつづけている。

風情があるけどうるさい。うるさいけど風情がある。ずっとなき続けているのは、淋しいからか、怖いからか・・・。

このまま夜まで鳴きつづけたら、羽根がすり切れてしまうのではと、要らぬ心配をする朝。今朝のミシガンはは涼しい。

2007年08月11日

紙でできた車

トラバントの広告。何年前のものだろう。

ルーマニアに妻の実家を訪れたとき、トラバントが現役で走っているのをみて興奮した。トラバントを知ったのは、冷戦時代のこと。特殊加工をした厚紙で作られた本体は、水にも浮く。エンジンが壊れたらボートになるといって、バカにされていた。中学生のころの話。

周りが雑誌を囲んで共産圏の紙でできた車をバカにしているなかで、トラバントに電気エンジンを積み込んでみたい・・・と考えていた私は、そのころからちょっと変わっていたのだろう。当時の電気エンジンは非力だったので、水に浮くくらい軽量のトラバントならうまく走るのではないだろうか・・・と「妄想」していた。

以来、トラバントは自分のなかでフェラーリよりも何よりも一番格好いい車、ほしい車だった。そんな片思いの車の実物に出会えたばかりか、現役で街を走っていた・・・。もう、信じられないものをみたという驚きと、捜し求めていた人にあったような感動で、胸がいっぱいになった(大げさじゃなくて・・・)。

妻の両親の住むビルの下の駐車場にも、1台のトラバントがとまっていた。毎日、窓から惚れ惚れと見下ろしていた私の目は、恋する少年の目だったとおもう。共産時代の東ドイツのボロ車を、羨望のまなざしで見る私をみて、変人だと義父母に思われなかったのは幸いだった。

走る環境破壊という別名を持つ車だけに、EUに編入されたルーマニアで見かけることもなくなるだろう。それ以前からも、排気ガス規制でトラバントの車両登録は規制されていた。それでも残っていたのは、トラバントは容易に改造できる車だったかららしい。

改造といっても、私が考えているようなエンジンの交換などではない。ましてや、暴走族などがするような改造などでは全くない。身体に障害を持つ人が運転するための改造が、一番簡単に安くできるのがトラバントということらしい。車の内部を見たらすぐにそれがわかる。単純なアクセルとブレーキ構造、何もついていないシンプルなハンドル構造・・・。棒と紐でも改造できるんじゃないかしら、とおもわされるようなシンプルさ。

いつか、トラバント用の電気エンジンを作って、積み込んでみたい。

2007年08月13日

夜の美しさ

Toronto, Night View
慌ただしくしている。夏学期のプロジェクトレポート、講義概要とスケジュールの調整、講義用の課題資料集の印刷依頼と予定の調整、学生用のテキストの発注、その他。

写真はトロント、ブロアー通りのパノラマというバーからの夜景。綺麗だったけれども、香港の夜景よりもきれいな夜景は、今まで見たことがない。東京の夜景はまとまりが無く、綺麗なんだけれども心を奪われることはない。100万ドルの夜景で有名な六甲も、町までの距離が遠すぎる。街の明かりを見る夜景の美しさは、香港の夜景(街中から見る夜景、街の夜景、船上から見える夜景、ビクトリアピークの夜景)は白眉だろう。

夜の美しさという意味での夜景もある。こちらのほうは、たいていの場合見過ごされるが・・・。

イスタンブールは、全体の暗さと夜空に浮かぶモスクなどの取り合わせが美しいが、「夜」の美しさという意味での夜景だった。エジプトのカイロでは、暗い夜空を背景にピラミッドがライトアップされていた。幻想的という人もいる(大勢)かもしれないが、自分にとっては何か安っぽく見えた。ああいうものは、暗い夜空にぼんやりと浮かぶから幻想的なのであって、ライトアップはちょっと・・・ね。イシスでは、ナイル川に月がきらきらと輝くのをみた。あれもすばらしい夜の風景だった。

夜の暗さでは、何年も前の中国にかなうところはない。

日本アルプスなどの山中よりもはるかに暗い、墨をおとしたような街の夜は、不気味な魅力がある。夜の蘭州(中国北西部)は、発電所の電球がちらちら光る程度。西安の夜はそれなりに明るいが、オレンジ色の裸電球と城壁のイメージ。敦煌はどこまでも夜・・・真っ暗で足元も見えないような不思議な夜。これらの都市も、ここ10年の間に大きく変貌したことだろう。

ミシガンで月夜に歩くと、月が驚くほど明るいことに気づく。

月がでていない夜でも、星の明るさを感じる。夏学期のあいだは、キャンパスのいたるところで灯っている街灯の多くが消灯されている。必然、普段よりもずっと暗い夜道を歩くことになる。目の前の近いところは真っ暗なのだけれども、遠くが明るい。星月の静かな明るさは肌で感じる明るさで、目に見える明るさではない。空には天の川が広がる。

それぞれに、夜の美しさがある。

ライトアップするだけが豊かさではないということに気づくのは、それ以前の豊かさを失った後になるのだろうと思う。自分に足りないものを持つことが豊かさを感じる手段だとすると、これからも無いものばかりを求めつづけることになる。

これについては、またこんど。

2007年08月16日

「平和憲法」討論の退屈さ

Entering Michigan
戦後62年・・・。日本は平和になったのだろうか。あまり観念論的なことを書くつもりはない。観念論だけで平和になったとか、平和ではないなどを語ったところで、自己満足以上の何かが見えてくるとは思えない。

平和を豊かさに置き換えてみると考えやすい。

どういうときに豊かさを感じるかという設問をよく見かける。しかし「どういうとき」という設問への応答は、どうしてもフェノメノロジカル(Phenomenological 現象学的)で空虚な結論しか導き出さない。「どういうとき」という問いに対する答えは、どうしても「こういうとき」という現象や状況ごとの事例になる。これらの事例は千差万別であるし、主観的であるために一時性(暫時性)をもつ。その時々に変容する思考を概念化することは難しいし、そもそも概念化を求めた設問ではない。

概念化を求める設問ばかりを有効な設問とするつもりはない。会話をするのであれば、多様な表象を提示することに限定したものが有効だろう。また、主観的観点に限定した討論であれば、観念論的な認識をみることが可能になる。

ただし、(これは他の多くのことでも同様だが)、問題に対して一つの観点からのみ議論がされると、どれほど優れた議論や分析であっても、そこから派生する議論は非建設的なものになってしまう。これは、問題に対してアプローチする視点、そのものが内包する矛盾や前提にたいする分析の完全なる欠落、そして欠落そのものへの完全な忘却があることに因がある。

先の豊かさの設問について考えると、「どういうときに豊かさを感じるか」という設問だけでは足りない。「何を豊かさとするのか」という設問をもとに、豊かさの概念を考えるための設問を組み合わせると、観念論の先が見えてくる。ここで大切なのは、何を豊かさとするかという設問だけをすればよいということではないこと。どちらか一つだけを問えば、そこから出る議論は観念論で終わる。この二つの設問を組み合わせることではじめて、議論を観念論に執着させている前提を考える素地がうまれる。

(つづく)

2007年08月20日

応答責任(平和憲法について)

Shinkansen
終戦(敗戦)記念日に放送されたNHKの討論番組、「日本のこれから」を家族が見ていた。こうした討論番組はあまり好きではない。正しく書くと嫌いだ。討論が嫌いなのではない。討論番組が「討論」それ自体を放送することを目的として、討論が目的とする「結論」を目的に設定していないためにおこる空虚な論議に辟易とする。

簡単に言うと、討論を見世物にしている「討論番組」には、討論は存在せず、そこにあるのは「中傷」でしかない。

討論は結論を導き出すことを前提としている。その場にいる人の意見がすでに統一されている場合において、討論は意味をもたない。件の「討論番組」であっても、異なる意見を持つグループを参加させていることからも、討論は意見の異なるものの間で交わされるという認識はすでに共有されているといえる。

異なる意見をもつ他者とのあいだに、お互いに合意可能な共通認識を形成する場合においては、他者の主張を認識することから始めなくてはならない。この点においても、「討論番組」は異なる意見をもつ発言者に水を向けるなどの方法で、ある程度の必要条件を満たしている(ずいぶん大目にみてはいるが・・・)。

しかし、十分条件を満たしてはいない。

異なる意見を聞くだけでは十分ではない。異なる意見を理解する必要があり、異なる意見をもつ他者を尊重する姿勢が欠けてはならない。ここで言う尊重とは、言葉遣いや聞く姿勢を指さない。他者の意見が形成される背景(論拠)の理解に努めるという具体的努力をもって、「尊重」としている。

一つ例を挙げよう。

平和運動家の発言で、「世界の平和のためならば、国家利益(国の安全)のことなどはどうでもいい」というものがあった。この発言をした時点で、当該の平和運動家は「討論」への参加資格がない。国家利益の観点から主張している他者の意見を「どうでもいい」と無視するのであれば、それは討論への参加拒否の表明になる。討論の「討」の面ばかりを強調すると、他者否定の「論」が横行する好例だろう。

討論の相手が「国家利益」を論拠にしていることが明確になっているこういった場合、世界平和が如何に国家利益に結びつくのか・・・などと、相手の論拠に「応答」すること(応答責任)が討論においては必要になる。この場合の「応答責任」は、高橋哲哉が提唱する「応答責任」としての戦後責任論とは性格が異なる。討議作業においての応答責任は、討議に参加する権利に付随する義務的責任という性格を持つ。

自分の意見を声高に叫んだり、他者の論拠を否定することばかりに集中した討論は、すでに討論ではない。他者の尊重が出来ない場合、その個人の討論への参加資格は失効する。これは決して一方的な暴力的ではない。社会存在(討論が公正に行われる環境)を破壊する個人が、その社会における権利の全てを失効するということは、社会(討論)がそこに共存する個人の保全を目的としている前提において公正となる。

(つづく)

2007年08月26日

閑話休題

ミシガンに戻ってきました。直前に母が外科入院をすることになり、あわただしい帰国になりましたが、とりあえずは無事にミシガンに戻りました。状況が許せば2~3日で看護のために再度帰国することになるかもしれませんが、ご心配なく。

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